こんにちは🤚
まっつです。
今回は京都で行われた500羅漢会での説法を文字起こししました。
『他の仏国土において、尊き仏たちがこの「正しい教えの白蓮」という経説を語ることがあれば、そのとき余の全身を祀る塔は、この「正しい教えの白蓮」という経説を聴くために、如来たちの傍に行きたい。また、かれら尊き仏たちが余の全身の塔を開いて四種の会衆たちに見せようと欲するときには、十方におけるそれぞれの仏国土において、余の身体から作られた如来の分身が、それぞれに異なる名でそれぞれの仏国土に現われて、人々に教えを説いていても、それらの分身を一緒に集めて、そののちに余の全身を祀る塔を開いて四種の会衆に見せるべきである。』
その故に、如来の分身が数多く作られ、それらが十方におけるそれぞれの仏国土にある幾千の世界において人々に教えを説いているのであるが、それらはすべて、ここに集められてくるであろう。
大楽説は世尊にこのように語った。
「世尊よ、ともあれ、如来が作られた如来の分身のすべてを、私どもは拝みましょう。」そのとき、世尊は眉間の白毫から一条の光を放った。その光が放たれた瞬間に、東方において、ガンジス河の砂の数に等しい五十・千万億の世界に住む尊い仏たちの姿が全て見られた。また、それらの仏たちの住む瑠璃づくりの仏国土も見えた。
「余はかつて前世において〜」つまり多宝如来はかつて、菩薩の修行を修めていたが、求法者を戒めるこの「正しい教えの白蓮」という経説を聴くまでは、この上なく完全な正しいさとりには到達しなかった。その「正しい教えの白蓮」という経説を聴いたのち、余はこの上なく完全なさとりに完全に達成した。
かつて菩薩の修行をしていたが「法華経」つまり如来の第5の教えには気がつかなかった。だけど如来に出会ってこの「正しい教えの白蓮」という経説を如来から授けてもらって、解脱して、虚空会(10次元)に上って、授記をもらったのちに、余はこの上ない完全なさとりを完全に達成した。
7度生まれ変わって、菩薩行をこなして完全なさとりを達成したのが、多宝如来である。
多宝如来というのは、たくさん未来仏がいて、釈迦から授記をもらった弟子たちが7回生まれ変わって(何回も生まれ変わって)如来となり、未来仏として集合した状態。
多宝如来は入滅の後、「余の全身のために一つの大宝塔を建立せよ」
つまり授記を授ける時に、如来の全身のための一つの大宝塔を建立せよ
→弟子たちが未来世で如来になって、その時にちゃんと弟子を取って、教え(法華経=第5の教え)を説いて、解脱させて、虚空会に連れていって、そのときに
「如来の全身のために一つの大宝塔を建立せよ」=「法華経 第5の教え 授記の教えを説け」
「塔を建立しろ」=「授記を授けろ」
その弟子たちに大宝塔を建立したのち(教えを説いたのち)授記を授けて、その弟子たちに「未来世で如来になり、そこでも授記を授けなさい」と、そして授記を授けた如来もその弟子たちの未来仏の如来たちも授記を授けて、全て達成して全てが如来になった。
この見宝塔品の短い文章の中には、すごい複雑なシステムが入っている。
例えばA菩薩が生まれ変わった世界でA如来になる、B菩薩も如来になる、、、
十方における全ての世界において、いずれの仏国土であれ、A如来、B如来、C如来、、、たちが如来として弟子たちを解脱させて、虚空会に上らせ、
この「正しい教えの白蓮」という経説を解き明かすと、そこに必ず、各如来達から授記をもらって未来世で如来になった(未来仏)全ての如来が現れる。それが余の全身である。その塔が現れるべきである(つまり授記の教えを説いて弟子たちの精神に塔を出現させる。一つの大宝塔を建立させる。)
ここに授記の秘密が隠されている。
A菩薩が未来世で如来となり、授記を授けるとその授記から如来になった、全ての弟子(如来)たちが無限に現れる。それが塔である。B菩薩が未来世で如来となり、授記を授けるとその授記から如来になった全ての弟子(如来)たちが無限に現れる。C菩薩が未来世で、、、
その弟子たちが如来になった姿が全て一塊になって集まったのが多宝塔である。
その多宝塔は集まった会衆の上の上空に止まれと、多宝如来の祈願がある。
要するに授記を授けたその瞬間、時間と空間は無い。目の前にいる弟子たちは、未来世で如来になって、弟子を取り、解脱させて、虚空会に上らせ、授記を授けて、その弟子たちも生まれ変わって如来となり、その全ての如来が集まってくる。
小宮如来が授記を授けるときには、小宮如来の上にも塔が立って、その塔というのは、全ての皆さんの未来仏が集まってくる。そしてその姿を皆さんも観る。それはとりもなおさず、皆さんが授記をもらって、7度生まれ変わって、如来となって「正しい教えの白蓮」を説くことで、授記を授け終わった如来が集まってくる。その状態を皆さんも観える状態になることが、如来の上に塔が建ったという状態。
だからそこまで如来は弟子たちを感化させ、レベルを高めて、授記を授けると多宝如来の姿を弟子たちが観れるようになる。つまり弟子たちは自分が如来になった未来世の姿を観れるようになる。
如来の上にその姿が観えるようになった=塔を建立すること
未来世で如来になる姿が観える(如来になる未来世につながる)=授記
だから授記を授ける前に弟子たちを帰依させて、弟子たち一人一人に未来世で如来になった自分が観えるようにするのが、授記である。
弟子たちに未来世で如来になる姿を観させてあげることができたら授記を授けられるタイミング。
だから簡単に塔は立たなくて、弟子たちをみんな感化して、その一人一人の弟子たちが、今授記をもらって、7度生まれ変わって、その世界で如来になって授記を授け終わって入滅した如来の状態を観えるようにするまでが授記。
※弟子たち自身7度生まれ変わって如来になった姿が観える状況になるまで創るのが授記。(7度はあくまでも設定)
そうすると未来世で生まれ変わったときに、授記をもらったその先の世界がそこに各自が揃う。
皆さんが如来になったときに、小宮如来の法華経を読むと、そこから授記を授け終わった歩みが観える。
※授記を授けたとき、それぞれの如来になったときの歩みが観える。
生まれ変わった先には必ず法華経があって、その中には自分(それぞれの人)が歩んできた、7度生まれ変わって歩んできた歩みが入っている。だから各自、違う世界、違う如来、違う教えになる。同じ法華経でも。
そこまで含まれているのが法華経。だから授記を誓うということは、7度生まれ変わる歩み理解して、自分で法華経に気がついて語る。
この法華経の中には、各自の未来仏になる歩みが書いてあって、それは妙音菩薩品である。最後に普賢菩薩になって、「わたしはこれから法華経を説きます。」と誓う。
だから授記をもらって生まれ変わって自分が如来になった歩みを観えるようにするまでが、授記を授けるということ。
自分の如来になった姿が観えたら、更にそこから菩薩行を繰り返して歩んできた、各世界の歩みまでが観えるようになったときが、授記を授けるとき。
例えば妙音菩薩品では各世界で楽器を奏でて如来達を喜ばせた歩み、ここまで観えるようになったときが、授記を授けるとき。
だから簡単に授記は授けられるものでは無い。
この話がわかる人はすごい功徳がある人。
まず他の人に広めるには量子力学から仏教に興味を持たせると良い。
最後まで読んでいただかありがとうございました😊