まっつの如来への道

わたし自身も法華経を理解するためにブログ書いていきます!

「カルマ」について考えてみた

こんにちは✋まっつです。

今回はカルマについて考えてみます。

「カルマ」とはなんでしょう?

日本語に置き換えると「業」になります。「自業自得」この言葉になるとわかりやすいですかね?この言葉は、悪いことをした後に、痛い目を見る人に対してよく使われていると思います。しかし、悪いことだけではなく、良いことも還ってくるという意味もあります。つまり、

自分の行い(業)は自分に還ってくる(得)ということです。

でも何故やったことが還ってくるのでしょうか?

いやいや、そんなことないでしょ笑、バレなきゃ大丈夫でしょ。

そう思う人がほとんどかもしれません。

しかし、どうでしょう。わたしたちは生きている中で、身に覚えのない不幸や幸運を体験していると思います。これこそが「自得」の部分なのではと、わたしは考えます。だってそうでないと理不尽に死んでいく人とか、子供とか、その親は可哀想だと思いません?

もちろんこの考えは転生輪廻という概念がある前提ですがね、、、

では何故やったことが巡り巡って還ってるのでしょうか?

それはこの世は何も無いからなんです。

ここでいう何も無い真空というのは、むなしさを持つような何も無いではありません。白いキャンパスのように、ありとあらゆる絵を描ける状態、つまり、

すべての可能性を包括した状態、無限の状態を秘めた意味を持つ「何も無い」です。

なので逆に言えば、「全てある」とも言えます。

物理学では「e=mc2」と表せられ、仏教では「色即是空」または「空即是色」という言葉で表せられます。

詳しくはこちらの記事を!

アインシュタインのE=mc2とお釈迦様の色即是空 - まっつの如来への道

宇宙の始まる前は何も無い真空の状態でした。この真空の状態に戻るように各生命体はこの3次元で生きています。だから、やった事に対して打ち消すような出来事がおこり、均衡が保たれ、真空の一部として我々は存在を許されているのだと思います。しかし、ただ生きているだけでは、この真空が求める本来の目的からは外れています。真空は自らを認識するために、わたしたちのような限界のある生命体をうみだしました。

なぜなら真空「無限の状態」は、「有限の状態」無くしては観測できないから。

それはコインの裏と表は必然的に存在するかのように。

 

最後まで見ていただきありがとうございました。