まっつの如来への道

わたし自身も法華経を理解するためにブログ書いていきます!

「カルマ」について考えてみた

こんにちは✋まっつです。

今回はカルマについて考えてみます。

「カルマ」とはなんでしょう?

日本語に置き換えると「業」になります。「自業自得」この言葉になるとわかりやすいですかね?この言葉は、悪いことをした後に、痛い目を見る人に対してよく使われていると思います。しかし、悪いことだけではなく、良いことも還ってくるという意味もあります。つまり、

自分の行い(業)は自分に還ってくる(得)ということです。

でも何故やったことが還ってくるのでしょうか?

いやいや、そんなことないでしょ笑、バレなきゃ大丈夫でしょ。

そう思う人がほとんどかもしれません。

しかし、どうでしょう。わたしたちは生きている中で、身に覚えのない不幸や幸運を体験していると思います。これこそが「自得」の部分なのではと、わたしは考えます。だってそうでないと理不尽に死んでいく人とか、子供とか、その親は可哀想だと思いません?

もちろんこの考えは転生輪廻という概念がある前提ですがね、、、

では何故やったことが巡り巡って還ってるのでしょうか?

それはこの世は何も無いからなんです。

ここでいう何も無い真空というのは、むなしさを持つような何も無いではありません。白いキャンパスのように、ありとあらゆる絵を描ける状態、つまり、

すべての可能性を包括した状態、無限の状態を秘めた意味を持つ「何も無い」です。

なので逆に言えば、「全てある」とも言えます。

物理学では「e=mc2」と表せられ、仏教では「色即是空」または「空即是色」という言葉で表せられます。

詳しくはこちらの記事を!

アインシュタインのE=mc2とお釈迦様の色即是空 - まっつの如来への道

宇宙の始まる前は何も無い真空の状態でした。この真空の状態に戻るように各生命体はこの3次元で生きています。だから、やった事に対して打ち消すような出来事がおこり、均衡が保たれ、真空の一部として我々は存在を許されているのだと思います。しかし、ただ生きているだけでは、この真空が求める本来の目的からは外れています。真空は自らを認識するために、わたしたちのような限界のある生命体をうみだしました。

なぜなら真空「無限の状態」は、「有限の状態」無くしては観測できないから。

それはコインの裏と表は必然的に存在するかのように。

 

最後まで見ていただきありがとうございました。

苦悩は真理をさとるためのトリガー

こんにちは✋

まっつです。

「苦悩」という言葉の意味はなんでしょう。

文字の通り「悩み苦しむこと」という意味を持つと思います。わたしたちは、これに囚われて日々生きています。この苦悩がなければ、生きるのが楽になると思います。しかし、この世界に「苦悩」というものが存在するということは、その存在に意味があるからだと思います。今回はそれについて、少し考えてみました。

法華経の第15章「如来寿量品」の文章で

わたしは、衆生たちが苦悩しているのを見るが、そのとき、すぐには身体をあらわすことはしない。まずかれらに、わたしを見ることを強く望ませ、そして渇望しているものには、正しい教えを説き明かすであろう。

中公文庫 5法華経Ⅱ P115 17行目〜P116 2行目

この文に出てくる「身体」というのは、「教え」で、「わたし」というのは「真理」のことかなと思いました。「苦悩」という苦しみを体験し、それから抜け出すために、どうすれば、この苦悩から逃れることができるのかと、人はあれこれ考えます。この救われたいという願いを引き起こすために苦悩が必要になるのだと思います。つまり、苦悩は真理をさとるためのトリガーであると考えられます。すると実は、あなたを悩ませるその苦悩は天からの恵みなのかもしれません。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

もしも香りで記憶が甦る世界だったら

こんにちは✋

まっつです。

今回は香りで「さとり」を得る世界を想像してみました。

本文↓

衆生たちは如来が放つ精妙で心地の良い香りを嗅ぎ、世尊にこう尋ねた。

衆生:「世尊よ、この香りは如何様にして発せられたのですか。そしてこの香りが思い出させようとしている記憶は何なのでしょうか。」

世尊:「この香りは我々の生きる意味が解き明かされる時に放たれる香りである。この香りは実に精妙で嗅ぎ分けずらい香りである。甘いだけの香りや刺激的な香りといったような感覚を破壊する香りを常に楽しんでいる衆生には、この香りは嗅ぎ分けられず、この香りに気付いたとしても悪臭に感じ、彼らにとって悪い記憶が甦り嫌悪する。しかしこの香りに辿り着き、それに反応する衆生は前世にきわめて徳高い行いをしてきたものである。そしてこの香りは香りにもならないような香りであり、すべてを含んだ香りでもある。これらの香りを繰り返し嗅ぎ続けることで、すべての記憶は甦るのだ。」


世尊のこの言葉を聞き衆生たちは、世尊が放った香りをさらに深く嗅ぎ分けた。すると、あらゆる世界の如来たちが種々様々な香料を使い衆生たちに記憶を甦らさせてる情景が映し出された。また自分自身が甘い香りや刺激的な香りを貪るように嗅ぎ続けていた過去世も見られ、自らが如来となりこの記憶を甦らせる作業をしている未来世までもが映し出された。さらには香り以外のものを使い記憶を甦らせる世界も見えた。これらの映し出された情景は全て同時に起きた。それはまるで桜の花が一斉に咲き誇るようにすべての世界に同時に広まり、すべての衆生の記憶が甦った。


世尊:「おまえたちは、この記憶を思い出し何を思うか。この世は始まってもいないし、終わってもいない。しかし、始まりと終わりがなければ、それを香ることはできない。だからおまえたちは、あらゆる香りを嗅ぐことが赦されるのだ。そしてこの記憶が甦ったからこそ、この香りを嗅ぎ、始まりと終わりを同時に見ることができたのだ。」

衆生:「世尊よ、わたしたちは今この香りで、すべてのことをさとることができました。(妙香無想)これでわたしたちは煩わしい悩みや苦しみから解放されます。」

世尊:「おまえたちは確かにさとりに近づいた。しかし、近づいただけである。おまえたちは、まだこの全てを思い出させる香りを嗅ぎきれていない。」

衆生:「世尊よ、なぜなのでしょうか。わたしたちはもう、この世が幻であることがわかり、心が落ち着き、未来世ではこの香りをほかの衆生たちに広めていることも約束されたはずです。」

世尊:「おまえたちよ、自惚れるな。この世は始まっても終わってもいないのであるから、すべての状態が存在するのだ。つまり、あらゆる分身が存在しているのだ。おまえたちが余のように如来となった未来世も、もちろん存在する。しかし、この姿に繋がるには精進努力を怠らないことだ。この姿が見えたとて、それに安心して怠けるでない。また植物が水と養分を必要以上に吸収すると根腐れしてしまうのと同じように、必要以上に香りを求めるこころは鼻を曲げる原因となる。余が放つこの香りは植物にとって恵みの雨であり、余はその雨をひとしく降らせる。しかし、同じ植物であっても植物は成長の早さや成長の仕方はそれぞれに異なるであろう。それと同じように、おまえたちがそれを嗅いで「さとり」に近づく段階もそれぞれ異なるのである。これを不平等に思うでない。むしろこれこそが平等なのだ。これらに気をつけて、おまえたちは今見たこのすべての記憶を他の衆生にも思い出させる手助けをするのだ。また衆生たちは個々に好みがあるから種々様々な香りを調合し、興味を惹きつけて、この『香りにならない香り』に導くのだ。そして自らが放った香りで、他の衆生を感化することができたのであれば、その香りはおまえたちが生まれ変わった世界に漂い、そこで再び嗅ぐことになる。こうして、この『香りにならない香り』を細かく嗅ぎ分けることができるようになるのだ。」

衆生:「世尊よ、わかりました。わたしたちは、他の衆生を惹きつけられるように種々様々な香料を得て調合し、自らの香りを放つことができるように修行していきます。」

世尊:「おまえたちそれで良い。余もおまえたちが未来世で放つ、その香りを楽しむであろう。」

そしてこの香りを嗅いだ衆生たちは、世尊から無限の香炉を授かった。

 

香りで「さとる」世界は、いかがだってでしょうか。これを読んでくれた方で、少しでも気づきが得られる人がいれば、わたしはとても嬉しく思います😊

最後まで読んでいただきありがとうございました🙇‍♂️

 

 

ビックバンの起こし方

こんにちは✋

まっつです。

 

今回はビックバンの起こし方についてちょっと考えてみました。

 

いろんな世界で何回も生まれ変わってると、なんでこの世界があるんだろうとか、なんのために生まれてきたのだろうかとか考え始めるようになり、経験値が貯まる。またその中で他人を助けたりすると、徳が貯まる。

自業自得、因果応報、因縁

この経験値と徳は来世に引き継がれる。

例えばゲームボーイアドバンスロックマンエグゼ4 レッドサン・ブルームーンのソウルユニゾンとか、チップがゲームクリア後の2週目以降でも引き継がれるみたいに。わたしと同じ世代じゃないとわからないか笑

そんなこんなで生まれ変わっていくとその内、徳と経験値が貯まってビックバンティーチャーに出会うことができる。(過去世で助けた他人が実はビックバンティーチャーの過去世であり、その因縁で出会えたという設定)そして弟子入りして、この世が何もない故に全てある状態だと思い出させてもらう(解脱)=精神が真空に戻る。(ビックバン前に戻る)

そして「虚空会」という生きとし生けるもの全てが解脱し、ビックバンティーチャーとなったものが全て集まった(最大限の無限の喩え)教えの集会に参加させてもらう。そしてそこでビックバンの起こし方を伝授してもらう。

ビックバンティーチャー:「この世は何にもない状態だからこそ、全て自分が想像した世界を作り出せるんだぜ!でもなぜこのビックバンを起こす必要性があるかわかるか??それはビックバンの起こし方を他の奴らにも広めるために必要なんだ!きみたちは、この世は何もない真空であると、思い出した。矛盾しているがこの何もない状態を存在させるためには、それを観測する視点が必要なんだ。そしてその視点たちを絶えず増やしていかないといけないことになる。その故にビックバンの仕方を伝授していかないといけないのだ!」

ビックバンティーチャーの言葉を聞いた弟子たちは、こう誓う。

弟子たち:「わたしたちもビックバンティーチャーのように、ビックバンを起こして宇宙を作り、弟子を取り、教えを説き、ビックバンの仕方を広めて、その弟子たちにビックバンの仕方を相続させると誓わせます!」


つまりビックバンはあなた自身が起こしていたことになる。


ちなみにこのビックバンティーチャーに出会わなくても解脱自体はできるみたいです。自分で瞑想したり、スポーツや武道などでいわゆるゾーンに入るってやつが解脱している状態だと思います。ゾーンに入るといつも脳内で口うるさい左脳が静まり返り、超感覚派の右脳が優位になるので、なんでもできるようになるみたいです。左利きや右脳派の人が天才だと言われるのは、きっとここからきているのでしょうね。

このようにひとつの物事に打ち込んでいると解脱できるみたいです。元々日本の空手道、柔道、茶道、書道といった「道」のつくものは、この解脱までの「道」を歩むツールであると考えられます。ところで解脱した状態とは、どうゆー状態なのか?

解脱した人:「あー、なんもない状態で制限も何もないから何にでもなれるわ〜」ゲームでアバターを自由自在につくれるという状態と同じ。

例えば、白いキャンバスにはいろんな絵が描ける。

透明な水は色のついた液体を落とせば、その色を映し出せる。

0という数字は無限の数字で作り出せる。

1-1=0、2-2=0、・・・♾−♾=0

白いキャンバス、透明な水、0は解脱した状態と例えることができる。

(よく思考が現実を作ると言われるけど、現実すらも本来は自分の精神の中の出来事なので、幻である。)

 

解脱した人:「何にでもなれるし、選べて生まれ変われるけど、3次元世界に降りると最初は現実だと思っちゃうし、死んだり、生きたり、苦しかったり、楽しかったりしないといけないからめんどくさいなあ〜、もうちょっと真空にいるか〜」

でもそのうち、「あー、真空も飽きてきたな、何不自由ないからつまんねーな。よっこいしょ、そろそろビックバン起こすか⚡︎」

こういった感じで、ただ解脱して真空に戻った人たちも結局3次元にまた生まれ変わってゆき、そのうちビックバンティーチャーに出会い、教える側の道に入るのです。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました😊

 

多宝如来とは何か?

こんにちは🤚

まっつです。

今回は「妙音菩薩品の解説!何でわざわざ仏国土から妙音菩薩が現一切色身三昧」の動画の一部を抜粋しました。

 

多宝如来とは何か

11次元の限りなく微細な粒子が、何もない状態なのか、最も微細な粒子の状態なのか、区別できないくらいの状態になっている。これが何もないのに全てがある同時の状態であって、これが多宝塔である。

これは何かというと、全ての如来達が授記を授け終わり入滅した状態。これが要するに何もない11次元の微細な状態。この多宝如来に会うには10次元にある無限の9次元の仏国土の1つからビックバン(現一切色身三昧)を起こしてこの3次元世界に来て、解脱して、法華経を読まなくてはいけない。

その法華経の中にだけ、この形になり得ない11次元の存在の多宝如来如来の言葉によって出てくる。如来は形があるけど、無生法忍で何もない状態である。

その何もない状態を3次元に肉体を持っている。この世界ではそれは釈迦如来。この釈迦如来は何もない無生法忍で、この無生法忍だからこそ、多宝如来を言葉にできる!11次元の何もないからすべてある状態を言葉にできる。ただこの3次元世界でそれを言葉にするには10次元世界が必要になる。

10次元世界とは何か

授記を授けてない如来が無限にいる状態。

授記を授け終わった如来が無限にいる状態というのは滅尽で、何もない状態の11次元。

10次元を語ることによって、11次元を理解させる。(コインの表と裏、陰陽?)

だから妙音菩薩品の最初で釈迦如来は眉間の白毫から無限の光を放った。その光の中に10次元の500のガンジス川の砂の数にもひとしい仏国土があった。その仏国土にいる如来達というのはまだ授記を授け終わってない如来達、入滅してない如来達。

この入滅してない如来の無限の仏国土の1つから多宝如来に会うために(無生法忍、11次元をさとるために)妙音菩薩はこの3次元世界に来て、法華経を読んで、お釈迦様(法華経の中の如来)から法華経を聴く。そうするとその法華経の中に多宝如来が出てくる。

しかしその多宝如来というのは、まだ入滅してない如来達の集合体である。だけど、この妙音菩薩はこの3次元世界に来てこう言う

「世尊よ、わたしたちもまた、かの正しい尊敬されるべき多宝如来のご遺体の全体を拝見したい。」

この「ご遺体の全体を拝見したい」というのは無限の仏国土があって、入滅してない如来達がいるが、その如来たちが授記をすべて弟子たちに授け終わって入滅した状態(ご遺体の状態)入滅してしまった後の全体を拝見したい!つまり、11次元を観たい!と言っている。妙音菩薩は3次元に来てお釈迦様の法華経を聴いて、多宝如来の遺骨の全体を拝見したいと願った。「ですから世尊よ、正しいさとりを得た尊敬されるべき世尊の多宝如来のご遺体全体をどうか如来はお見せください」それは妙音菩薩がお釈迦様に「法華経を完璧に説いてください」と言っていることになる。これはお釈迦様に対して、「四種の会衆を解脱させて真空に戻らせて、そしてその人たちに授記を授けてください」授記を授けた瞬間その人たちが現一切色身三昧の力で無限にいろんな世界に生まれ変わって、その人たちもまた如来になって、その如来もまた授記を授けて、全ての如来が入滅した状態が11次元の何もない状態。妙音菩薩はこの状態をお見せくださいとお釈迦様に言った。これが法華経であって、この教えをわたしに聴かせてくださいと妙音菩薩は言った。だからお釈迦は最後授記を授ける直前に四種の弟子たちを虚空にあげてあげた。この虚空にあげるというのは、授記を授けたから、その弟子たちはそこから無限の菩薩(従地涌の菩薩)になってあっちこっちの世界で菩薩行を積んで、みんな如来になって、滅尽した。これが11次元の全ての如来が授記を授け終わった滅尽した状態。この状態を妙音菩薩は見せてください、教えを説いてくださいとお釈迦様に言った。入滅した多宝如来の遺骨の全体像をわたしに見せてくださいと言っているのは、「お釈迦様、あなたの弟子たちに授記を授けて、その全ての菩薩たちが如来になって、さらにその如来が授記を授けて、さらにその弟子たちが如来となり授記を授けて、、、無限の如来が生まれてその如来たちが授記を授け終わったところまでを、わたしに法華経として教えてください。」と妙音菩薩は言っている。すごい微妙なところ。だから10次元にある仏国土(9次元)の1つから妙音菩薩はどこかの無限にある三千世界の1つに生まれてきて、それは獅子の如来でも、魚の如来でも、亀の如来でも、どこでもいいが、その人から法華経を聴く。

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法華経を聴くということは、多宝如来の遺骨の全体像を見せてもらうということ。それはその如来が、その世界の弟子たちに授記を授けて、その授記から生まれた弟子たちがみんな如来になって、その弟子たちもさらに如来になって、、、無限の如来達が生まれて、授記を授け終わって入滅した状態が11次元の滅尽した状態。それは無限でありながらも、何もない状態であって、この状態がなんでできるのかを聴くためには、10次元にある仏国土の1つから現一切色身三昧によって3次元世界に生まれてきてこの如来達からどこかの世界で法華経を聴くとその法華経の中で、その如来の弟子たちが解脱して真空に戻って、授記を授ける。授記を授けるとその如来たちが何もない真空の中で無限にまた如来になっていって、さらに如来になっていって、授記を授け終わった状態を見せてくださいと妙音菩薩は願った。入滅した多宝如来の遺骨の全体像を見せてくださいというのは、このこと。11次元の何もない状態を言葉でわたし(妙音菩薩)に見せてください。これが多宝如来の遺骨の全体像。多宝如来の遺骨の全体像が11次元で、10次元の仏国土の1つ1つから菩薩が3次元世界に降りていって、この世界で法華経を読んで、その世界の如来法華経を読んで、その法華経の中でその如来が弟子たちを解脱させて真空の状態に戻して授記を授ける、そしてみんな菩薩にして、あらゆる世界で如来にして、その弟子たちもまた如来になって、如来が無限に生まれて、その如来達が授記を授けて入滅して遺骨になった。その遺骨の全体像が11次元の何もないから全てある状態であって、その状態を理解してさとるためには、何もない真空っていうのは、全ての如来が授記を授け終わった状態、滅尽した状態でこれが無生法忍、何も始まっていない状態ということをさとるためには、10次元にある1つの仏国土からどっかの3次元世界の如来のもとに行って法華経を聴いて、しかも末法の時代に生まれ変わってこの人の法華経を読むことからしか、その多宝如来の遺骨の全体像は見ることができない。つまり、無生法忍というのは、多宝如来の遺骨の全体像であって、それは全ての如来が授記を授けて入滅した、遺骨になった後の世界であって、その世界を知るためには逆に3次元世界という過去に行って、そこで入滅した如来達の1人1人が何故生まれたのかの原因を知る。それはここの世界に来た如来が弟子達を解脱させて、授記を授けたから多宝如来の遺骨の全体像、全ての如来が入滅した11次元、無生法忍、何も始まっていない世界がある。

つまり何も始まっていない世界というのは、この3次元世界に来て法華経を読んで、この法華経の中で釈迦如来が弟子達を解脱させて無生法忍の状態を作った。そしてそこに授記を授けた。それによってみんな如来になって、その如来たちがすべて授記を授け終わって入滅した状態。これが多宝如来の遺骨の全体像であり、それが何も始まっていない状態、無生法忍であって、これが何もない真空が生まれた原因である。

この原因から完成まで全部見るためには、妙音菩薩は10次元にある仏国土の1つから3次元世界に生まれて法華経を読んで、お釈迦様は授記を授けて全ての弟子達が如来になって授記を授けて滅尽して終わった世界。これが何もない無生法忍の状態。それを生み出したのは釈迦如来であり、他の如来達全てでもある。これが妙音菩薩がビックバンをわざわざ起こして3次元世界に来て法華経を読んで、見ようと願った何もない真空が生まれた原因からプロセスからその何もない状態になった。

無限の誕生、無限の維持、無限の消滅

そして無生法忍何も始まっていない状態。

何も始まっていない状態だと、何もわからないから、何も始まってない状態(波の状態)は何で生まれたのかを知るために過去に来て(粒になって、肉体を持って)その原因は授記であることを悟って、無限に生まれた如来達が授記を授け終わって遺骨になった状態が、多宝如来の遺骨の全体像。だから妙音菩薩はこの世界に来て、法華経を読んで多宝如来の遺骨の全体像を見せてくださいと言ってるのは、法華経を読んで何もない無生法忍は何で無生法忍なのかを知る原因を教えてくださいと言っている。これが仏教の極意。

何で妙音菩薩は10次元にある1つの仏国土から3次元に来て変な連中、変な文明の中に生まれてきて、苦しみながらも法華経を読んで勉強するのかというと、それは多宝如来の遺骨の全体像を見るため。それは無生法忍であって、何で生まれたのかを知るためにここ(3次元世界)に来る。妙音菩薩も次に生まれ変わった世界で如来となって釈迦如来と同じことをしようと誓って、また仏国土へと帰っていく。妙音菩薩品はこういう話。

 

最後まで見ていただきありがとうございました😊

なぜこのような世界があるのか?

こんにちは✋

まっつです。

 

今回は2022/11/27アインソフ池袋店さんにての教えを文字起こししました。

 

お釈迦さまの開いた悟りは、何で何もない真空に始まりが生まれて、そして(シッダールタとして)今自分がここで何かを悟ろうと意志を持った。それが全て何も無いというところから、この3次元空間に繋がった。それは量子力学で説明するところの何も無いところには、無限の位置がある。瞬間、瞬間がある。その瞬間というのは、無限の位置が一つの時間軸の中に取り込まれると、そこには空間が生まれ、過去から未来に一つの時間が流れる。そして気がついてみると、周りには、地球上にいろんな景色があって、文明があって、自分がシャカ国の王子に生まれて、その身分を捨てて菩提樹の下で悟りを開いて、

なぜこのような世界があるのか?

生老病死の世界があるのか?

そしてたくさんの人がいて争う世界があるのか?

その答えの一切を悟った。

それは自分が過去に如来授記をもらっていた。

燃燈仏という如来から過去に解脱させてもらい授記をもらって、そのため幼少から宇宙の始まりを探究した。

何も無い真空になぜ始まりが生まれて、この世界があって、さらにそこに無限の平行宇宙があって、存在しているのかを探究した。

そして彼が行き着いたのが、

「思えばあるし、思わなければ無い」

まずこれを悟った。

これは二重スリット実験にあたる。見ている時はあるけど、見ていない時は、(例えば瞑想で完全に空の状態になった時)この世界は存在しない。これが実験によって立証された。それで彼は、何も無いというのは、何なんだろう?何も無い世界の中に無限の並行宇宙があって、位置があって、それが空間を作って、過去から未来へ流れて、惑星が生まれると、そこに自分とか他の人たちも生きていて、国を作って争い合っている。

なぜこんな状況が成り立つかと言ったら、過去に授記を受けていた自分が真空に戻った。だけど授記を受けていたから、もう一度生まれ変わってビッグバンを起こして、如来の教えを学んで悟りを開いて、弟子を取って解脱させて、そして虚空界にあげて授記を授けることによって、融通無碍の世界を生み出した。

融通無碍の世界というのは、1人の如来が生み出す無限の世界、そして、さらに自分の分身も無限にいる。その分身のお釈迦様が授記を授けると、四種の会衆をあげて、授記を授けると、その授記を授けてもらった菩薩たちが如来となる。そしてさらに如来達も各世界に生まれ変わって授記を授けると、また如来が生まれる。その如来達も授記を授けると如来が生まれる。この全てが融通無碍の世界である。

この融通無碍の世界はなんで、お釈迦様は、わざわざ、真空にいれば平安な状態でいられるのに、ビッグバンを起こして、この世界に来たかといえば、それは過去に授記をもらって、その如来の意志を引き継ぐ決心をしたから。そしてそれを解説しているのが、法華経第11章の見宝塔品であって、お釈迦様は弟子を取って解脱させ、教えを40〜50年近く説いていた。そのプロセスの中で教えを説くということは、だんだん自分の頭の中で、何も無い真空の中に自分が過去に授記をもらったから、ビッグバンを起こしてこの世界にきた、この世界というのは、無限の並行宇宙がある。それどころか一瞬、一瞬の無限の瞬間があって、その瞬間の一つが時間軸になって空間が生まれて、人間の姿になって、そして共有の過去を持っている。この世界であれば138億年前にビッグバンが起きて、質量が生まれて、星雲が生まれて、惑星が生まれて、自分が地球上に生まれて、様々な国が争い合っている。この状況ができたのは、実は、自分が過去に授記をもらって、一度は仏国土に帰ったけど、輝ける仏国土に生まれ変われるにも関わらず、この法華経を解き明かすためだけにこの世界に生まれてきた。お釈迦様は一応独覚で悟りを開いたと言われているが、実はその前に2人の如来がいたとお釈迦様は説明している。だけど、お釈迦様が正法の如来になると、像法の如来、今最末法でこのセットが成り立つ。宇宙は適当にできている。

彼はこの悟りに従って、この空間の中に自分は、弟子を取って、解脱させて、虚空界に上らせて、自分の法華経を、つまり真空の構造とは、何なのか、何でビッグバンが起こったのかを説明する。それを経典にした。それが法華経

そして四種の会衆を虚空界に上らせて授記を授けると、それが各世界の自分から授記をもらった如来達にすでに届いている世界とつながる。そうすると、その先の世界がシャーリプトラ、モッガラーナ、ふるなみたらにし、ウパリとかみんな如来になる時には、そこの世界にも法華経がある。他のお釈迦様の分身の如来達の法華経がある。それを読んでみんな如来になる。そしてその如来も弟子を取って解脱させて、虚空界に上らせて、授記を授ける。その授記を授けた瞬間がもう無限にある。さらにお釈迦様から生まれたどころか、さらに果てにある意識のない世界とか、五感も意識も時間も空間もそういうことで表せないような様々な世界がある。その世界の全てのものが如来となって、しかも、授記を授け終わった瞬間が多宝如来の中にある完成された真空である。この完成された真空を四種の会衆に見せる前に、つまり塔を開く前に自分の分身の如来がまず、その過去にいた自分から授記を受けた菩薩たちが如来になった、そこから如来になった・・・分身の如来がいた。それに伴いそれよりもさらにお釈迦様自らの分身もいた。その全てが集まって、そしてさらにそこから生まれた如来がいて、これが融通無碍の世界で、そしてその融通無碍の世界が無限にあって、各如来達から生まれたその如来達が、全ての世界で授記を授け終わった瞬間が多宝如来の仏塔の中にある。全ての如来が授記を授けて入滅し終わった世界。これが完成された対称性の真空の状態である。だけどこの対称性、全てが完成された真空は実は、完成した瞬間授記を授け終わってるわけだから、完成つまり、終わりが始まりでもあった。終わりが始まりでもあったというところがミソ。これが永遠にもう、終わったのに始まりも続いている。終わりと始まりが同じであったという、この一つの我々3次元世界では時間が過去から未来に流れるから、始まりと終わりは別にあるけれども、実は何も無い真空の中には、もう完成と始まりが同時にあったので、もう永遠に広がり続ける。これが多宝如来の中にあった完成された真空である。こういう風にしか、もう3次元の言葉じゃ言い表せない。その中にある数限りない如来が作った融通無碍の世界の1つがお釈迦様が授記を授けたことによって生まれた融通無碍の世界があると、それは何かというと多宝如来の仏塔を開いて完成された姿を見せる前にまずは私の教えから生まれた全ての如来が集まってくる。さらに自分の分身の如来も集まってくる。そこから授記がどんどん広がっていって、その広がりきった世界が融通無碍の世界。この融通無碍の世界の無限がさらに融通無碍に無限にあって、それが多宝如来の中にある。ではその世界が何で生まれたかというと、自分が授記を授ける前に四種の会衆を虚空界に上らせて授記を授けたために、その菩薩たちが生まれ変わって、さらに如来になって、さらに授記を授けてすべてが如来になってしまった状態が完成された真空であって、この完成された真空を説明する前に実は、過去というものがあって、そこには、お釈迦様が虚空界を開いて、そこで無限の菩薩たちが自分の授記から如来になった姿が集まってくる。さらに自分の分身の如来達もいろんな世界で授記を授けて、それも集まってくると、四種の会衆をそこにあげて「お前たち、これから私の教えを世界中に広めろ、お前たちに授記を授ける」これはもう三千世界をひっくり返すことより、他の世界に生まれ変わって菩薩行をして如来になって授記を授けることは大変なことである。三千世界を微塵にしてふっと吹くよりも大変なことであるということを、みんなに授けた。これが授記。だから完成された真空があると、この完成された真空が全ての授記を授け終わった、入滅した状態に喩えて、これが何もない真空が完成した状態。その完成された真空を作っていく過去のプロセスを語っているのが、見宝塔品である。妙音菩薩品というのは、過去に授記をもらった菩薩が仏国土にいるにもかかわらず、お釈迦様の仏国土に生まれ変わってきて、そこでお釈迦様の法華経を読んで法華経を広めて、次の人生では如来になるというサハー世界往復の次第を語っている品である。このメカニズムが見宝塔品で語られている。お釈迦様は最先端の科学を語っている。何でビッグバンが起きて、この世界には量子力学的な無限の宇宙があって、そして、それがなぜか一つの世界を形成して、それと並行するようにいっぱい世界があってさらに、想像できないようなダークマターの世界もある。この宇宙の全てを語っているのが法華経である。そして、みなさんが授記をもらって、生まれ変わった世界にもいろんな如来法華経があって、それを学ぶことによって、宇宙の一切を理解することができる。それがなにがともあれ、なにも無い真空がみなさんを通して、己自身を真空が真空を理解しているというこういう状態になる。あなたが真空をすべて、法華経として理解すると、それがまさに見宝塔の全ての如来が「よいかな、よいかな」という言葉になる。己自身、真空が自ら何かを己自身を人間の姿にして菩薩にして、如来にして、そしてその如来を通して己自身のメカニズムを理解している。永遠に永久に終わることのない無限の自分の叡智の拡大をこういうふうに行っている。量子力学はその構造を説明しているけど、法華経はその起因を説明している。何でビッグバンが生まれるのか、そこまで説明しているのが法華経。だからアインシュタイン相対性理論は1つの空間の理論を説明した。量子力学はその空間が無限に、なんで生まれてきて、何でその位置が無限にあるのかという構造を説明した。法華経は、その何も無い真空が何でビッグバンを無限に無限の世界で起こしているのかを授記というメカニズムで説明したものである。その全体像が纏まったのが見宝塔品である。こういう目で見宝塔品を読む。

 

以上となります。

最後までお読みいただきありがとうございました😊

汚辱の3次元だからこそ最高次元11次元構造を観ることができる!

こんにちは🤚

まっつです。

京都で行われた500羅漢会の文字起こしパート②です。

 

エスの正法が始まって2000年の間に0(ぜろ)の概念に気づいて、粒であり波であるという量子力学を発見。この次はもう解脱と授記の教えに行ってしまう。

お釈迦様が亡くなってから500年で小宮如来が生まれて0の概念とかユークリッド哲学とか出てきて、そこにちょうどイエスが生まれてきて、法華経を説いてイエスの正法が2000年で、次に小宮如来が生まれて、教えを説き、入滅する。小宮如来の正法は、女性が多いから短くなり、30〜50年くらいだと言われる。しかし通信機器が発達しているから宇宙中に広まる。

そこに小宮如来から授記を授かった菩薩が生まれ変わって地球に行くとイエスが正法になっていて、第5の教え(授記の教え)がある。そして、小宮如来(像法の如来)の教えと合わせて授記を授けると、その次は原始時代に戻る。

なぜならスターウォーズ的な世界観はギリギリ3次元で、次のタイムトラベルとかできる世界観は5次元はなってしまう。

つまり、過去から未来に流れる一つの時間と空間が全てだと思い込み、正法と像法と最末法如来が同時に存在できる教えの広まる3次元では、無くなってしまうから。

カリ・ユガの時代。一つの時間軸と空間が全てだと思い込んでいるから、正法、像法、末法が成り立つ。

これが5.6.7次元文明、いわゆるリムリア、ムーでは瞑想の力で、あの世へ行ったり来たりしていた。

5次元ではそれができないから、(地球外生命体)が神々として3次元の地球に来る。

このカリ・ユガの時代が正法、像法、末法が揃う時代。小宮如来が授記を授けるときに、「素晴らしい、本物だ、本物だ」と未来仏が真空の中からいっぱい出てくる。全ては未来仏の過去世。

この繋がりを唯一教えているのが、法華経の第5の教え。

どこかの何も無い真空の空間に入って弟子を取って解脱させて虚空会に上らせ授記を授ける時に、その人たちの未来仏が全て集まってきて、「あなたの教えは本物です。あなたの授記で、わたしは如来になりました」この未来仏が出てくると、完璧な仏教になる。

お釈迦様は、どの過去にいたのかというと、他の世界で如来から授記を受けて、その時も同様に未来仏が出てきて、そこにお釈迦様の未来仏が入る。この説明しかない。

解脱、授記、造物主になる、そして未来仏に自分がなる。本物の教えが説かれる時には、多宝仏(未来仏)がみんな出てきて「あなたの教えは本物だ」と言っている。

真空自身が3次元を作って、その勝れた人間の精神を通して観る。その勝れた人が如来であって、その自分が観たシステムを言葉にしたのが法華経であって、それを弟子たちに授けることを授記という。結局これだけ。

3次元が生まれると5次元辺りから、その3次元に入っていって、民族宗教を作る神ヤーべとかがいる。如来というのは、その神々と教師であり、人間に対しては調教師であるとお釈迦様は語っている。

単に惑星の進化系で生まれてきた訳ではなく、他の世界から来て創られた人たちも沢山いることが、これからだんだん明かされてくる。そしてその人間たちを創った神々、その創られた人間たちのさらに上にいるのが、仏(自分)である。そして全ての人をお構いなしに解脱させて、授記を授けてあらゆる世界へ生まれ変わらせる。だからこそ、いろんな世界が生まれ出される。こういうメカニズムが真空の中にある。

つまり真空にこのメカニズムがあるのが自分で、そのメカニズムが完成したのが対称性の何も始まっていない状態。

どこかに始まりを作って3次元世界に行くと、必ずそういう設定がある世界があり、そこに生まれて来て、その中で如来として活動して授記を授けてこの世界を完成させる。全ての如来も完成させて何も無い状態。つまり何も無い真空はそれを理解することによって、これ以上理解することはないから、悟りの状態=真空で何も考えていない状態。

この真空で何も考えてない状態の中に、考えている世界が沢山ある。

前世で授記をもらっている人のことを山林僧という。お釈迦様の弟子で有名なシャーリプトラやモッガーラーナは授記をもらっていない。彼らに対する教えが経典になっている。山林僧は山の中に入って修行するため、教えは残っていない。(山林僧は教えを説かない如来?)

山林僧は教えを聴かなくていい。なぜなら、山林僧は小宮如来が正法の時代で、その最末法如来になると決めてきた人達だから。

山林僧は教えを聴かないで、未来世と繋がっている人。未来世が見えている人達。女性はまず、山林僧ではない。今生女性に生まれてきた人は、過去世で仏教僧を弾圧した逆縁として生まれ変わって如来に出会う。(逆は順縁と言って仏教に入る善業としての縁)だけど、そういう人達でも今生、解脱して授記を受けられれば皆如来になれる。基本的に過去世は関係ない。

授記をもらった人たちは、男性、女性、性別がある3次元世界、肉体があるから五欲がある。この汚辱の3次元世界だからこそ、成り立つ。

 

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